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腰痛・骨盤痛(妊娠中)に対する鍼灸治療
このページの要約
- 妊娠中の腰痛(LBP)・骨盤帯痛(PGP)は妊婦の約45%が経験し、一部では産後12年以上持続するケースも報告されている(Bergström 2017)
- コクランレビュー(Liddle 2015)では、鍼治療は通常ケアとの比較で一定の改善傾向を示したが、エビデンスの質は「低い」から「非常に低い」
- プラセボ対照研究で「有意差なし」とされた背景には、ミニマル鍼が生理学的に不活性とは言えないという方法論上の課題がある(Lund 2009)
- 日本鍼灸の細鍼・浅刺し・遠隔取穴は、中医学的手法を前提とした研究設計では適切に評価されない可能性がある
- 妊娠中の鍼治療の安全性は、得気を誘発する深刺し条件でも重篤な有害事象なし(Elden 2008)
目次
1. 臨床的背景:妊娠中の腰痛・骨盤痛とは
妊娠中の腰痛(Low Back Pain: LBP)および骨盤帯痛(Pelvic Girdle Pain: PGP)は、妊婦の約45%が経験するとされる頻度の高い症状である。多くは比較的軽度で産後短期間のうちに軽快するが、強度の腰痛により日常生活動作が制限されたり、出産後も症状が持続して育児に支障をきたすケースも存在する。日本の産婦人科医の立場からも、妊婦の腰痛を単なるマイナートラブルとしてではなく、妊娠・出産・育児における生活の質を向上させる観点からとらえ直す必要性が指摘されている(杉本 2003)。
LBPとPGPは発症機序・部位・予後の異なる別の病態として区別されており、欧州を中心とした疫学研究によって有病率・経過・長期予後が詳細に報告されている。
PGPの長期予後:Bergström 2017
スウェーデンで2002年に骨盤帯痛を報告した女性295名を12年後に追跡したコホート研究。主な結果は以下のとおりである。
- 40.3%が12年後も何らかの疼痛を報告
- 30日以上の持続的疼痛歴のある女性は、疼痛なし群に比べ12年後に痛みを報告するオッズが23倍
- 疼痛報告者の21.8%が過去12ヶ月間に病欠、約11%が骨盤帯痛を理由に障害年金を受給
PGPが一部の女性において慢性疾患へと移行しうること、疼痛の持続期間と広範囲な疼痛パターンが長期予後不良の最も強い予測因子であることを示している。妊娠中からの適切な介入の重要性を示す研究として位置づけられる。
薬物療法の制約
妊娠中に使用できる鎮痛薬は限られており、NSAIDsは妊娠後期には動脈管早期閉鎖等のリスクから原則禁忌とされている。非薬物療法の選択肢を検討する意義はこの点にもある。
2. コクランレビュー(Liddle 2015)の概要
本レビューは、妊娠中の腰痛・骨盤痛への介入(運動療法・骨盤ベルト・水中運動・鍼治療など)を扱った26のRCTを解析している。鍼治療については以下の比較が含まれている。
鍼治療 vs 通常ケア(または鍼+通常ケア vs 通常ケア単独)
複数のRCTにおいて、疼痛スコアや機能障害の改善で通常ケアを上回る傾向が示された。ただし試験規模が小さくバイアスリスクが高いと評価されており、エビデンスの質は「低い」から「非常に低い」とされている。
鍼治療 vs プラセボ(偽鍼)
プラセボ鍼を対照群に設定した研究では、本物の鍼とプラセボ鍼のあいだに有意差が認められなかったとするものが複数あり、これが「鍼の有効性を示す確実なエビデンスがない」とする結論の根拠の一つとなっている。ただしこの点については、次節で述べる研究デザイン上の重要な課題がある。
3. プラセボ鍼対照研究の設計上の課題
Lund et al. 2009 の論点
コクランレビュー(Liddle 2015)の解析対象論文の共著者でもあるLund Iらは、2009年に発表したコメンタリーにおいて、「ミニマル鍼(minimal acupuncture)は、生理学的観点から不活性なプラセボ対照として妥当ではない」と論じている。
この論文が指摘する核心は以下のとおりである。鍼RCTにおけるプラセボ対照として広く用いられてきた「ミニマル鍼」(経穴から外れた部位への浅刺し・得気を誘発しない手技)は、皮膚の感覚求心性神経を活性化するため、生理学的には「不活性」とは言えない。皮膚への軽微な刺激も中枢神経系の辺縁系ネットワークに影響を与え、一定の鎮痛効果をもたらす可能性がある。実際に、片頭痛・腰痛・膝関節症のRCTデータを解析すると、ミニマル鍼群においても臨床的に意味のある改善が認められており、「ミニマル鍼がプラセボとして不活性ではなかった」ことを示唆している。
システマティックレビューの結論を読む際の注意点
- 「有意差なし」は鍼治療群と偽鍼治療群の比較、すなわち特異的効果の有無を指す
- ミニマル鍼自体が生理学的に不活性でない場合、「鍼 vs 偽鍼で差なし」は「鍼 vs 無治療で差なし」を意味しない
- この設計上の問題が解決されないまま実施されたRCTに基づくレビューは、「鍼治療に特異的効果がない」という誤った結論に至るバイアスを内包している可能性がある
日本鍼灸の手技的特性との関係
この問題は、「日本鍼灸に関する東京宣言 2011」においても明示されている。日本の伝統的な鍼灸は、細鍼・浅刺し・てい鍼(接触鍼)を含む多様な手技を体系的に発展させてきており、海外で主流の中医学的手法(太鍼・深刺し・得気誘発)とは刺激量・手技において本質的に異なる。
中医学的手技を「本物の鍼(true acupuncture)」、日本鍼灸の手技に近い浅刺し・細鍼を「プラセボ(偽鍼)」として設定したRCTの結果を、日本鍼灸の有効性の評価にそのまま適用することには、方法論上の限界がある。
4. 国内の臨床研究との接続
症例集積研究はエビデンスとしての強さに限界があることを明記したうえで、以下の国内研究を紹介する。いずれも国内では数少ない、妊娠中の腰痛に対する鍼灸治療の臨床報告である。
現代鍼灸学. 2011;13(1):67–73.
妊娠中の腰痛に対する鍼灸治療の臨床経験をまとめた報告。症例集積であり因果関係の証明には至らないが、日本鍼灸の手技的特性と臨床実態を記録した一次資料として位置づけられる。
全日本鍼灸学会雑誌. 2003;53(1):21–27.
患部の腰部ではなく上下肢への刺鍼により妊娠中の腰痛に対応するという、日本鍼灸の遠隔取穴の原則に基づく介入の報告。「経穴から離れた部位への刺入=プラセボ」という前提で設計されたRCTとは治療原理において根本的に相容れない手法であり、日本鍼灸の評価に際して研究設計そのものを再考する必要性を示す事例として重要である。
5. 日本助産師学会ガイドライン2024の引用文献について
「エビデンスに基づく助産ガイドライン――妊娠期・分娩期・産褥期 2024」(日本助産師学会)において、妊娠中の腰痛・骨盤痛への鍼治療に関するシステマティックレビューが採用されている。一次文献を確認したところ、採用されたシステマティックレビューにおける「鍼治療 vs 偽鍼治療」という比較の記述と、引用された個々の論文の内容との間に、以下の点で注意が必要と考えている。
Vas J, Cintado MC, Aranda-Regules JM, Aguilar I, Rivas Ruiz F. Effect of ear acupuncture on pregnancy‑related pain in the lower back and posterior pelvic girdle: a multicenter randomized clinical trial. Acta Obstet Gynecol Scand. 2019;98:1307–1317. DOI: 10.1111/aogs.13635
スペインの18施設で実施された多施設RCT。介入は耳鍼(auricular acupuncture)であり、通常の体鍼(体幹・四肢への刺鍼)ではない。施術者は鍼灸師ではなく、鍼灸専門訓練を受けていない助産師。本論文の結果(verum耳鍼群でSOC単独群に比べ有意な疼痛軽減)は有意義だが、体鍼の有効性の根拠として直接引用することには解釈上の注意が必要。
Nicolian S, Butel T, Gambotti L, et al. Cost-effectiveness of acupuncture versus standard care for pelvic and low back pain in pregnancy: a randomized controlled trial. PLoS ONE. 2019;14(4):e0214195. DOI: 10.1371/journal.pone.0214195
パリ地区5施設で実施された費用対効果研究を兼ねたRCT。対照群は標準ケア単独であり、偽鍼対照群は設定されていない。論文自体もこれを限界として明記している。
Liddle 2015のコクランレビュー以降に発表された新しいRCTとして、どちらも意義のある研究であるが、ガイドラインのシステマティックレビューにおける介入の分類と一次文献の内容については、慎重な検討を要する。
6. 安全性データ:Elden 2008
コクランレビューの解析対象論文(Elden H, et al. BMJ. 2005;330:761)と同じ研究コホートの安全性データを詳細に報告した論文。386名の骨盤帯痛妊婦を対象とし、得気を誘発する深刺し(筋肉層・17本・週2回・6週間)で妊娠第2・3期から鍼治療を開始した条件において重篤な有害事象は認められなかった。
- 鍼灸群でみられた有害事象:刺入部位の疼痛・治療後の眠気・頭痛などのマイナーなもののみ
- 43回の鍼治療セッションでCTG(胎児心拍モニタリング)を実施、すべて正常範囲内
- 分娩転帰・新生児アプガースコア・臍帯血酸塩基平衡に3群間で有意差なし
著者自身の留意点
この研究の規模は早産・周産期死亡率・長期的な母児への影響を十分に除外できる検出力を持っていなかったと著者自身が記しており、さらなる安全性データの蓄積が求められる。
安全性に関する詳細は、当サイトの別ページ「鍼灸治療の安全性と適応について」もあわせてご参照ください。
7. 現時点での整理と今後の展望
| 論点 | 現時点の整理 |
|---|---|
| 鍼治療は妊娠中の腰痛・骨盤痛に有効か | 通常ケアとの比較では一定の改善を示した報告あり。エビデンスの質は低い |
| プラセボ対照研究での結果 | 差が示されないものが複数あるが、プラセボ設計の妥当性に方法論上の課題がある(Lund 2009) |
| 日本鍼灸の手技は適切に評価されているか | 中医学的手法を前提とした研究設計では評価困難。東京宣言2011参照 |
| 耳鍼・体鍼の区別 | Vas 2019(耳鍼)とNicolian 2019(体鍼・偽鍼なし)は性質の異なる研究 |
| 長期予後 | Bergström 2017により、PGPは一部の女性で12年後も持続しうることが示されている |
| 安全性 | Elden 2008により、強い刺激でも重篤な有害事象なし。ただし大規模な長期安全性データは未整備 |
今後の研究には、LBPとPGPを明確に区別したアウトカム設定、日本鍼灸の手技的特性を前提とした研究設計の立案、プラセボ設計の妥当性の再検討、そして産後の長期予後を含む縦断的観察研究の蓄積が求められる。OPCCOは、この課題に引き続き取り組んでいく。
8. 産婦人科医・助産師へのメッセージ
9. 参考文献
- Liddle SD, Pennick V. Interventions for preventing and treating low‑back and pelvic pain during pregnancy. Cochrane Database Syst Rev. 2015;(9):CD001139. DOI
- Bergström C, Persson M, Nergård KA, Mogren I. Prevalence and predictors of persistent pelvic girdle pain 12 years postpartum. BMC Musculoskelet Disord. 2017;18:399. DOI
- Lund I, Näslund J, Lundeberg T. Minimal acupuncture is not a valid placebo control in randomised controlled trials of acupuncture: a physiologist’s perspective. Chinese Medicine. 2009;4:1. DOI
- Elden H, Ostgaard HC, Fagevik-Olsen M, Ladfors L, Hagberg H. Treatments of pelvic girdle pain in pregnant women: adverse effects of standard treatment, acupuncture and stabilising exercises on the pregnancy, mother, delivery and the fetus/neonate. BMC Complement Altern Med. 2008;8:34. DOI
- Vas J, Cintado MC, Aranda-Regules JM, Aguilar I, Rivas Ruiz F. Effect of ear acupuncture on pregnancy‑related pain in the lower back and posterior pelvic girdle: a multicenter randomized clinical trial. Acta Obstet Gynecol Scand. 2019;98:1307–1317. DOI
- Nicolian S, Butel T, Gambotti L, et al. Cost-effectiveness of acupuncture versus standard care for pelvic and low back pain in pregnancy: a randomized controlled trial. PLoS ONE. 2019;14(4):e0214195. DOI
- 小井土善彦. 産科領域のマーナートラブルと鍼灸治療「腰痛」. 現代鍼灸学. 2011;13(1):67–73.
- 形井秀一ほか. 妊娠中の腰痛と外傷性頚部症候群に対する上下肢刺鍼の効果. 全日本鍼灸学会雑誌. 2003;53(1):21–27.
- 杉本充弘. 妊娠中期・後期 5.腰痛. 産科と婦人科. 2003;70(11):1656–1660.
- 日本助産師学会. エビデンスに基づく助産ガイドライン――妊娠期・分娩期・産褥期 2024.
- 日本鍼灸に関する東京宣言 2011. 全日本鍼灸学会・日本鍼灸師会. 2011年6月19日.
- 統合医療情報発信サイト(eJIM)厚生労働省. 腰痛(妊婦). https://www.ejim.ncgg.go.jp/
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一般社団法人東洋医学周産期ケア研究会. 2026年5月.
URL: http://opcco.org/%e8%85%b0%e7%97%9b%e3%83%bb%e9%aa%a8%e7%9b%a4%e7%97%9b%ef%bc%88%e5%a6%8a%e5%a8%a0%e4%b8%ad%ef%bc%89%e8%a9%b3%e7%b4%b0%e8%a7%a3%e8%aa%ac/
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